「頭を使う野球」ができたのがよかった

沖縄県立那覇商業高校 上原健吾監督


1997年、夏の甲子園でベスト8になったときの浦添商のメンバーでした。卒業後は東京国際大に進んで野球をやり、沖縄に帰って教員になりました。具志川商で初めて監督になり、今は那覇商の監督です。

私自身は選手に任せるべきところは任せて、締めるところは締めるという指導法です。

「野球離れ」は私も痛感しています。うちの息子も少年野球をやっているのですが、1学年20人程度です。那覇商は2年生が13人、1年が8人、今年は10人程度が入ってきます。本当は野球の普及活動をすべきですが、できていないですね。

私も阪長友仁さんのセミナーを聞きました。ドミニカ野球の目的は、最終がメジャーリーグで、それに向けて育成しているというのはうらやましいと思いました。

でも、日本では甲子園がゴールみたいになっているので、難しいだろうなとも思います。

それに、沖縄の子は高校で野球を終わってしまうことが多いと感じます。内地では大学や社会人で野球を続けている人も多いと思うんですが、その点が違うなと思います。

それから特待生などで、内地の高校に行ってしまう子が多いのも気になっています。

私は子供たちに高校野球がゴールではなく、次を目指させたいですね。

昨年、11月に行ったリーグ戦は、勝ち負けを気にせずにできたのがよかったですね。普段出ていない控え選手も全員、試合の経験をさせることができました。

僕自身、コーチャーボックスからアドバイスをしたり、動き回っていました。

レベルはバラバラですが投手を4~5人作って、自分たちでローテーション考えたり「80球」の球数制限があるので「その制限内で何イニング投げます」と目標を宣言して、少ない球数で投げるようにしたり、普段使わない頭を使えてよかったと思います。

木製バット、低反発金属バットを使ったことも良い経験になりました。